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Oxygen

  • violetapplemachine
  • 5月30日
  • 読了時間: 2分


「等身大の自分」で生きることはあらためて難しいのでオルタナティブな在り方を確立するのが最適解ですね。


となると対応するための指針となる思想をひとつ持っておいて、かつ「誤った方向」に見えている道が正しさのあるルートだって分かれば、大丈夫そうです。


そして偏在が可能性であるなら、可能性は満ちているし、因果応報は人間の発明なのかもしれない。


あくまでも発明だ。


だから一つの在り方に染まる手法を私は採りたくない。


異なる価値観、矛盾する価値観が共存している。


そう、肩書きは本質ではない。


たしかに善性の知覚は論理だけど、罪の知覚は感情に基づくものだから。


それと私が興味があるのは「結論」である。


既視感を体感し続ける事で、世界は遊び場になってゆくのです。


人生は還元を重ねてくと結局は「ごっこ遊び」にたどり着く気がする。


安定している状態は希望からは遠い。


考えることとは、ある種の人々のための、生存の手段である。


それは手動の何者かになる作業。


「誤った方向」は可能性であり、因果応報は人間の発明なのかもしれない。


言い換えると、希望を安定か不安定かに分類するなら、不安定のカテゴリに収まるものだと思うってこと。


既視感を体感し続ける事で、世界は遊び場になってゆくのです。


だから一つの在り方に染まる手法を私は採りたくない。


私が興味があるのは「結論」である。


既視感を体感し続ける事で、世界は遊び場になってゆくのです。


考えることとは、ある種の人々のための、生存の手段である。

考えることとは、ある種の人々のための、生存の手段である。

考えることとは、ある種の人々のための、生存の手段である。

 
 

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