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ふたりは今晩

  • violetapplemachine
  • 5月30日
  • 読了時間: 3分

ちいさな鏡はくたびれた雑貨とともに打ち捨てられて忘れられていた。

鏡はその表面に外界を映すことができたが、彼はそれがただの幻であることをよく知っていた。

鏡には自分の存在理由が分からなかった。

持ち主に忘れ去られ、映り込む像はただの像だし、まさに俺は役立たずであると認識していた。


鏡の転がるすぐ近くに容器に注がれた水があった。

鏡は水にあこがれていた。

水は鏡面としての性質を持つだけでなく、自在に形を変えることが出来るし、何よりも生物の命を維持するのに必要な存在で、鏡が決して持たない性質を多く有していた。

鏡は水になりたかった。

しかし叶わない夢なので、鏡は水のことを想い心を輝かすと同時に、自分は役立たずであるという苦しさを自覚するのであった。


水は自分が海の一部であるという事実におおいに自負していた。

いま水はちっぽけな容器に囚われている身ではあるが、本当は俺は偉大な存在なのだということを知っていた。

水はそのように自信に満ち溢れているから、自由な発想をすることができた。

発想とは制約のない心の状態から生まれ来るものだ。


「なあ鏡よ、暗がりにひっそりとたたずむばかりの鏡よ。

 おまえ。少し立ち上がってみろ。

 そして近くにもう一枚の鏡がある。

 そいつにお前を映してもらってみたらどうだ。」


水の声掛けの目的は鏡への同情ではない。

この水は鏡にちょっとした仲間意識を抱いていた。

つまり友達が欲しかったのだ。


突然話しかけられた鏡は驚き、続く激しい嬉しさから動揺してうまく返事をすることができなかった。

そして水の案にすぐに従った。


2枚の鏡は向かい合った。

もちろん合わせ鏡の現象が起こった。


対面しあう鏡は確かに無限に映り込む像を目視した。

鏡の中に外界とは異なる完全なる異世界が生まれている。


水は遥かなる鏡の世界へと流れ込んだ。

この新たなる世界は水を歓迎した。


道具とは秩序の領域のものである。

ところがこのように思いもかけぬ混沌を生じることがある。

(それは言葉と詩の関係によく似ている。)


さて水は混沌の領域へとこうして再び還り、鏡もまた混沌の領域に自分が所属していたことを知った。

鏡と水は混沌のもとへと帰り着いた。


混沌は言葉の影、我々のいたって近いところに潜むもの。

我々の隣人である。


我ら水をいだく透明な容器、

腕に胸に生命を維持する源を届かせ皿となる、かりそめの命の居場所。


水とは鏡であり、海であり、鏡とは海の下位のカテゴリーである。鏡とは海の限定的な比喩である。当然水は海の上位のカテゴリーである。鏡は海と水に従属するが、人間にとって常態の概念である。我々はどちらかといえば鏡に親しむことのほうが多い。


しかしながら鏡が抱くのは像だ。

命は鏡には宿らない。

ならば鏡を合わせる必要があろう。

すると対面鏡は命の居場所となり、鏡単体では持ち得なかった性質を有するように変化する。


生命と無限鏡は補完し合う。

 
 

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