物語の始まり
- violetapplemachine
- 5月30日
- 読了時間: 2分
はじまりとは触れられないことだ。
そして何かが終わるとき、私達はようやくそれに触れることができるんだ。
触れたかった。
キリギリスは夏のあいだ物語で遊ぶ。
キリギリスは秋が来ても物語を手放さない。
終いには冬が来てもキリギリスは物語を慈しんだ。
蟻は夏のあいだ物語をついばむ。
蟻は秋が来ると物語をせっせと巣に運ぶ。
終いには冬が来て、蟻は巣の中であたたかく暮らす。
春。
蟻とキリギリスは物語で遊ぶ。
ボールのように投げ交わされ、物語は始まる。
終わる。
無限に終わりと始まりがくりかえされる。
たしかに銀河の果てまで届いてしまいそう。
遊んでも、ついばんでも、慈しんでも、蓄えても、どうやったって無くならない。
物語は無数にあるからね。
蟻とキリギリスが物語で遊ぶとき、物語は捉えどころがなく、どろどろに溶けている混沌だった。
蟻が物語を蓄える時、物語は整備され、まるで観念と概念そのものだった。
キリギリスが物語を慈しむと、どろどろの物語の水たまりから、もう1匹キリギリスが現れた。
キリギリスたちはつがいになった。
そして物語ははじまる。
このように、物語はあまたに、あなたの手の中にだって在るのだけど、だけどそれは触れられているということではないんだ……。
そうね。
あなたは「物語のはじまり」に触れてみたい?
この作品は、X(旧Twitter)の企画「深夜の二時間作詩」4/26のお題に着想を得たものです。